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發表於 2013年4月15日 11:45 PM
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本帖最後由 yamaimo1025 於 2013年4月16日 12:12 AM 編輯
這是今年3月21日的新聞:
零戰的後繼機--烈風--的設計圖,在群馬縣被發現了~
http://mainichi.jp/graph/2013/03/21/20130321k0000e040193000c/001.html
以後會不會有烈風的遙控飛機出現?
內文如下:(擷取網路翻譯)
太平洋戦争で使われたゼロ戦の設計などで知られる航空技術者、堀越二郎氏(1903~82)の出身地である群馬県藤岡市の親戚宅から、同氏が手掛けた「烈風改(れっぷうかい)(A7M3)」の詳細な設計図17枚が見つかった。同機はゼロ戦の後継機とされたが、試作機すら造られず終戦を迎えた「幻の戦闘機」。設計図の寄贈を受けた同市は、堀越氏を主人公のモデルにしたスタジオジブリの映画「風立ちぬ」の公開に合わせて今夏、企画展で展示する
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零戰的設計者,航空技術者堀越二郎(1903~82),其出身地的群馬縣藤岡市的親戚家中
發現了當時他所設計的戰機「烈風改(A7M3)」設計圖十七張。「烈風改」被視為是零戰
的後繼機種,但尚未開始試作就已終戰,是一架「夢幻的戰闘機」。藤岡市接受堀越家所
捐贈的設計圖,將配合以堀越二郎為主角的吉卜力動畫「風立ちぬ」,於今夏的企畫展中
公開展示。
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同市によると、設計図はいずれもA1判(横約84センチ、縦約60センチ)。製図日
は1944年6月から45年7月となっており、機体の先端部分やエンジン付近のタン
クなど4種類の部品が描かれていた。情報漏れを防ぐためか、機体の名称部分は破り取
られていた。
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設計圖尺寸約A1大小(長64cm、寬60cm),製圖日約在1944年6月至1945年7月之間,繪有
機體前端部分及引擎附近的油箱等四種零件。
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設計図は05年2月、市内に住む堀越氏の親族が「蔵で見つけた」として同市に寄贈し
た資料約500点の中にあった。今年2月、専門家に鑑定を依頼し、開発の時期や部品
の形状から烈風改と判明した。同機については、全体像の図面などが確認されるにとど
まっていた。
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設計圖是在05年2月,居住於藤岡市內的堀越氏的親戚家所發現,在其捐贈給藤岡市的約五
百項物品中,今年二月經過專家的鑑定,判明是烈風改的設計圖。
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烈風改は、三菱重工業が開発を進め、社員だった堀越氏が設計主任を務めた。地上1万
メートル以上で米爆撃機B29との対戦を想定していた。44年12月~45年1月の
空襲で名古屋市にあった同社工場は壊滅し、数百人の従業員が死亡。同社によると、堀
越氏は疎開先の長野県松本市で開発を目指したという。堀越氏は同社を定年退職後、防
衛大教授などに就任した。資料を保管する藤岡市文化財保護課の軽部達也課長補佐は「
終戦の間際まで、より高度な技術を追い求めた様子が伝わる」と話す。
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烈風改是三菱重工所開發的,由堀越氏擔任設計主任。針對一萬公尺高空的美國B29轟炸機
的對戰所設計。1944年12月至1945年1月間,三菱重工在名古屋市的工廠遭受空襲毀壞,數
百名作業員死亡。堀越氏在其疏散的長野縣松本市繼續開發。堀越氏在三菱退休後(1965
),轉任防衛大學擔任教授。保管資料的藤岡市官員說「堀越氏直到終戰前夕,仍在追求
更高度的技術。」
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20世紀の航空開発資料を収集する日本航空協会航空遺産継承基金(事務局・東京)の
長島宏行氏によると、GHQ(連合国軍総司令部)は日本の航空機開発を禁じ、機体や
資料を没収した。「これだけの設計図が一般の家から見つかるのは、非常に珍しい。設
計者の思い入れが強く、終戦後も手放せなかったのでは」としている。
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日本航空協會的長島宏行先生表示,駐日盟軍於戰後禁止日本開發航空機,沒收關於機體
等的資料,能在一般民家發現此設計圖,非常珍貴。
ps.設計圖的右下角可以看到飛機名稱的地方,已經被撕掉了...掘越還放不下的感覺....
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